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漢検1級ブログ ボクちゃん日記PART2(漢検一級編)

漢検準1級と1級を目指す人を応援するブログ

ら行の8871

10月〇日 
 本庄図書館に置いていただきましてひとつき。
 「日本産 ジュラ紀の植物化石図鑑/中生代植物研究会編」。
 お近くの方、どうぞお手にとってくださいまし。
 こちらでしか知りえないトテモ精緻な内容の図鑑であります。

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ら行の8870

10月〇日 
 地元のひとたちとの繫がりが深まっていくのが嬉しいのう。
 今日も新しい方からご連絡をばいただきました。
 NHK「ひるまえほっと」もぜひご覧ください。
 (月)~(金)/午前11時05分から始まりま~す。

  《ボクちゃん漢字研究会/主催》
  《及川音楽事務所/協賛》
  《本庄市・本庄市教育委員会/後援》

 本庄美奈子「ピアノ&トーク」のひととき

本庄美奈子300914

◆日時/2018年11月25日(日) 16:00~17:30
◆場所/はにぽんプラザ 埼玉県本庄市銀座1-1
◆料金/500円(定員176名)

本庄美奈子(ほんじょう みなこ/ピアノ)プロフィール
◇フェリス女学院大学音楽部卒
◇Prayner Konservatorium(ウィーン)を最優秀の成績で卒業
◇エウテルペ国際演奏コンクール第1位(ローマ)
◇現在NHK「ひるまえほっと」にリポーターとして出演
◇気象予報士/さいたま市在住

 《曲目》
  ハイドン/ソナタ ホ短調 op42
  ショパン/幻想即興曲
  ショパン/ノクターン へ長調op15-1
  リスト/ため息
  グリュンフェルト/ウィーンの夜会
  チャイコフスキー/花のワルツ (くるみ割り人形より)
  平井康三郎/幻想曲「さくらさくら」
        ※都合により変更になる場合もございます

 お問合わせは此方まで、よろしくお願いいたします。

   anahorihukurou2012@yahoo.co.jp


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ら行の8869

10月〇日 
①一心精励=マフ(   )作針(四)
②鉄線蓮(     )(五)
③彼はいわばテッチュウ(   )の錚錚だ(二)
④応器=テッパツ(   )(七)
⑤厚顔=テツメンピ(    )(七)

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①一心精励=マフ(磨斧)作針(四)
②鉄線蓮(てっせん)(五)
③彼はいわばテッチュウ(鉄中)の錚錚だ(二)
④応器=テッパツ(鉄鉢)(七)
⑤厚顔=テツメンピ(鉄面皮)(七)

ら行の8868

10月〇日 
◆マシンケイ(    )で鉄杵を磨く李白

 「あ~あつまんねえの~勉強なんかやめてもうウチにけえるん
べえ~」
 詩仙とまで謳われた李白爺も子供の頃は皆とおんなじ、ぐうた
らもんだったんじゃのう。・・・その道で一人のばさまに出会ったそ
うな。
 「ばあちゃん、そんなでっけえ杵で何してるん?」
 「じいさんのステテコがひっちゃぶけたで縫ってあげべえと思っ
たけんども針がねえ。んだもんで鉄の杵を磨いているところじゃ」
 「針ならもってるでえ、ほれ」
 「おお、こりゃたすかったわい」
 ばさまはたいそう喜んで、土産に熊本焼酎鳥飼を一本持たせ
たそうな。
 あれの飲兵衛生活はここから始まった、ということじゃ。とっぴ
んぱらりのぷうりんりん。

◆マシンケイ(磨針渓)で鉄杵を磨く李白

ら行の8867

10月〇日 
①火魚(      )(五)
②方頭魚(      )(五)
③鉄蕉(    )(五)
④鉄刀木(      )(五)
⑤テッカバ(    )ですってんてんになったフェージャ(二)

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①火魚(かながしら)(五)
②方頭魚(かながしら)(五)
③鉄蕉(そてつ)(五) ※=「鉄樹」
④鉄刀木(たがやさん)(五)
⑤テッカバ(鉄火場)ですってんてんになったフェージャ(二)

ら行の8866

10月〇日 
①跌誤(    ) 跌(    )る(六)
②跌墜(     ) 跌(    )く(六)
③雄大なさま=テットウ(   )(三) 
④阡陌=シンテツ(   )(七) 
⑤鉄漿(     )(五) 

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①跌誤(てつご) 跌(あやま)る(六)
②跌墜(てっつい) 跌(つまず)く(六)
③雄大なさま=テットウ(跌宕)(三) ※=「跌蕩」
④阡陌=シンテツ(畛畷)(七) ※「畷」=「縄手」
⑤鉄漿(おはぐろ)(五) ※「かね」でも正解

ら行の8865

10月〇日 
①ソクラテス=テツジン(   )(三) 
②儁秀=テツゲン(   )(七)
③老人=テツガイ(   )(七)
④耄耋=ビセツ(   )(七) 
⑤尨眉皓髪=頭童シカツ(   )(四)

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①ソクラテス=テツジン(哲仁)(三) ※=「哲人」
②儁秀=テツゲン(哲彦)(七)
③老人=テツガイ(耋艾)(七)
④耄耋=ビセツ(眉雪)(七) ※P1480参照
⑤尨眉皓髪=頭童シカツ(歯豁)(四)

ら行の8864

10月〇日 
①迭立(     ) 迭(  )わる(六) 
②パイプを咥(   )える團伊玖磨(一/訓)
③垤(     )に屯する穿山甲(一/訓) 
④丘陵=フテツ(   )(七)
⑤キテツガク(    )を究める西周(二)

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①迭立(てつりつ) 迭(か)わる(六) ※「たが(い)に」もアリ
②パイプを咥(くわ)える團伊玖磨(一/訓)
③垤(ありづか)に屯する穿山甲(一/訓) ※「つか」とも読む
④丘陵=フテツ(阜垤)(七) 
⑤キテツガク(希哲学)を究める西周(二)

 ②、「か(む)」「わら(う)」追加。

ら行の8863

10月〇日 
 そこらへんにころがっている漢和辞典を手にとる。
 ぱっと開く。

◆拙筆=トア(   )
◆街衢=トコウ(   )
◆改刪=トザン(   )
◆他者=トジン(   )
◆粉黛=トタク(   )

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◆拙筆=トア(塗鴉)
◆街衢=トコウ(塗巷)
◆改刪=トザン(塗竄)
◆他者=トジン(塗人)
◆粉黛=トタク(塗沢)

 類義語、5分で5個ゲット(`*ω*´)。

ら行の8862

10月〇日 
①尿瓶=ニョウキ(   )(七)
②滌濯(     ) 滌(   )ぐ(六) 
③茶の別称=テキハン(   )(三)
④庭の《艸の右側》木(     )の手入れをする(一/音)
⑤オシロイバナの種から《艸の右側》(  )が出てきた(一/訓)

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①尿瓶=ニョウキ(溺器)(七) ※「じょうき」とも読む
②滌濯(てきたく) 滌(すす)ぐ(六) ※「あら(う)」もOKミミちゃん
③茶の別称=テキハン(滌煩)(三)
④庭の《艸の右側》木(そうもく)の手入れをする(一/音)
⑤オシロイバナの種から《艸の右側》(め)が出てきた(一/訓)

 「溺」=「いばり/ゆばり」。
 「洗滌」=「せんじょう/せんでき」だが「てき」のみの辞典多し。
 ⑤、動詞は「めば(える)」。音に「てつ」アリ。

ら行の8861

10月〇日 
 バビンチョ先生の円形コード表を見ていたら急にギターが弾き
たくなったので弦を全部張り替えてやってみた。
 ビートルズ、「ノルウェイの森」「ヒア・カムズ・ザ・サン」「ビコー
ズ」、〆に「まちぶせ」。久々だったがちゃんとできたひっひっひ。

ら行の8860

10月〇日 
 NHK「ひるまえほっと」もぜひご覧ください。
 (月)~(金)/午前11時05分から始まりま~す。

  《ボクちゃん漢字研究会/主催》
  《及川音楽事務所/協賛》
  《本庄市・本庄市教育委員会/後援》

   本庄美奈子「ピアノ&トーク」のひととき


◆日時/2018年11月25日(日) 16:00~17:30
◆場所/はにぽんプラザ 埼玉県本庄市銀座1-1
◆料金/500円(定員176名)

本庄美奈子(ほんじょう みなこ/ピアノ)プロフィール
◇フェリス女学院大学音楽部卒
◇Prayner Konservatorium(ウィーン)を最優秀の成績で卒業
◇エウテルペ国際演奏コンクール第1位(ローマ)
◇現在NHK「ひるまえほっと」にリポーターとして出演
◇気象予報士/さいたま市在住

 《曲目》
  ハイドン/ソナタ ホ短調 op42
  ショパン/幻想即興曲
  ショパン/ノクターン へ長調op15-1
  リスト/ため息
  グリュンフェルト/ウィーンの夜会
  チャイコフスキー/花のワルツ (くるみ割り人形より)
  平井康三郎/幻想曲「さくらさくら」
       ※都合により変更になる場合もございます

 お問合わせは此方まで、よろしくお願いいたします。

   anahorihukurou2012@yahoo.co.jp

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ら行の8859

10月〇日 
 躊躇わず人気順にいっときゃよかったかにゃ。ヴィブロスの56
キロにうっかり・・・。

①覿武(    ) 覿(   )す(六)
②覿面(     ) 覿(  )う(六) 
③躑躅(    )(五)
④躊躇=テキチョク(   )(七)
⑤羊はその前で躑(      )った(一/訓) 

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①覿武(てきぶ) 覿(しめ)す(六)
②覿面(てきめん) 覿(あ)う(六) ※「み(る)」も当て嵌まる
③躑躅(つつじ)(五)
④躊躇=テキチョク(躑躅)(七)
⑤羊はその前で躑(たちもとお)った(一/訓) ※「ためら(う)」も

ら行の8858

10月〇日 
 キセキはナア・・わしも気になっとったんぢゃよ。9がナア・・よけ
いなこ・・・・・漢賢、また的中のようだ。テレ東収録もおつかれさ
までした。

ら行の8857

10月〇日 
 (/∀\)。

ら行の8856

10月〇日 
 レイデオロ・・・・・・・・・なあ。
 馬体が戻っとるようだ。
 天皇賞。
 4から3-5-6-10の3連単でお願いします。
 ともかく本格的な秋はやってきたのだ。

                                             テイオー顔UP2

ら行の8855

10月〇日 
 チケット、あとわずかであります。
 よろしくお願いいたします。


 https://blue-mood.jp/schedule/reservation-flow


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ら行の8854

10月〇日 
 中国文学全集。
 ま~やっぱりおもしろいですな。
 只管暗記暗記でやってきた故事成語。
 物語の中で躍動しとりますよ。

ら行の8853

10月〇日 
①鏑矢(     )(五) 
②糴取(    )(五) 
③糴糶(      ) 糴(  )う(六) 
④チョウテキレンサン(     )は国家の政策の一だ(二)
⑤苛斂(    ) 斂(   )める(六) 

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①鏑矢(かぶらや)(五) ※「鏑」=「かぶら/かぶらや」「やじり」
②糴取(せどり)(五) ※「糶取」もそうぢゃ
③糴糶(てきちょう) 糴(か)う(六) ※「かいよね/いりよね」
④チョウテキレンサン(糶糴斂散)は国家の政策の一だ(二)
⑤苛斂(かれん) 斂(あつ)める(六) ※「おさ(める)」もアリ

ら行の8852

10月〇日 
 きのこ山の奥で不明のおぢいさん、無事保護。

 「よかったですねえ、みなさんにぜひひとこと」
 「マツタケ」
 「?」
 「わしのマツタケはど~してくれるんぢゃ」
 「ハア?」
 「ハアやないぢゃろがわしのマツタケはどないなっとるんぢゃ
ゆ~とんねんわしのいのちよりだいじなあのマツタ(以下略)」

 それからおぢいさんは望みどおり山に帰されましたとさめでたし
めでたし。

ら行の8851

10月〇日 
 今晩は潘岳です。夏侯君には勝ってると思うんですがねえ。

①テッカ(   )車に満つ(八) 
②コウジン(   )を拝す(八)
③権力者に媚びるさま=ボウジン(   )之拝(四)
④一擲(     ) 擲(    )つ(六) 
⑤打擲(       ) 擲(   )る(六) 

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①テッカ(擲果)車に満つ(八) ※「てきか」とも読む
②コウジン(後塵)を拝す(八)
③権力者に媚びるさま=ボウジン(望塵)之拝(四)
④一擲(いってき) 擲(なげう)つ(六) ※「す(てる)」とも読む
⑤打擲(ちょうちゃく) 擲(なぐ)る(六) ※「ふ(るう)」もアリ

ら行の8850

10月〇日 

  東京漢字倶楽部【碧水会】勉強会


◆日時/2018年11月4日(日) 13:30~16:30
◆場所/グリーンパレス(402) 東京都江戸川区松島1-38-1
◆内容/漢字検定1級「第2回」問題の解説と今後の対策
◆費用/300円(定員=25名/〆切=10月31日)

 初参加の方はぜひ此方まで。
 〆切期日前に定員になることもありますので、なるべくお早め
にお願いいたします。

   anahorihukurou2012@yahoo.co.jp


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ら行の8849

10月〇日 
①適間(     )(五)
②気にいること=テキイ(   )(三)
③適従(      ) 適(  )く(六)
④敵娼(     )(五) 
⑤彼はテキガイシン(    )むきだしで向かってきた(二)

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①適間(たまひま)(五)
②気にいること=テキイ(適意)(三)
③適従(てきじゅう) 適(ゆ)く(六)
④敵娼(あいかた)(五) ※「あだ」が追加
⑤彼はテキガイシン(敵愾心)むきだしで向かってきた(二)

ら行の8848

10月〇日 
 松陰先生についての蘇峰の文章。纏めてみました。
 答は「8847」にて。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【01】
 題して『吉田松陰』というも、その実は松陰を中心として、その
前後の大勢、暗潜モクイ(   )の現象を観察したるに過ぎず。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【02】
 昨年の春初「本郷会堂」において、「吉田松陰」を講談す。の
ちフエン(   )して『国民之友』に掲出する十回。さらに集めて
一冊となさんと欲すセンエン(   )果さず。このごろコウコ(
  )のトクセキ(   )急なるを以て、トッサ(   )の間、遂にこ
れを成す。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【03】
 山陽山陰にコキョ(   )竜蟠し、一百二十万石の大封を擁し
覇威を中国に振いたる毛利氏も、天のレキスウ(   )徳川氏
に帰し、今は関原の役、西軍にクミ(  )したるの罪により、長防
三十六万九千石に削減せられ空しく恨を呑んでヘイソク(   )
せり。然りといえども乃祖元就、寡兵を提げ、陶賊を厳島にミナ
ゴロシ( )にしたる、当年の覇気豈に悉く消沈し去らんや。天下
一朝動乱の機あれば、先ず徳川幕府に向って楯を突くものは、
長にあらざれば必ずサツ( )。これ徳川氏自身が、恒にカイシ
ン(   )したる所にあらずや。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【04】
 旅行は、実に彼の活ける学問たりき。彼れ嘉永三年鎮西の山
川をバッショウ(   )し、四年藩主の駕にコ(  )して江戸に到
り相房形勢の地を按じ、さらに東北に向って遠征を試みんと欲し
肥後の人宮部鼎蔵と、十二月十五日アコウギシ(     )復
讐の日を期して途に就かんとす。既にハンキョ(   )を得るも
未だ旅券を得ず、彼ゴウ(  )もチギ(   )せず、曰く、「一諾
山よりも重し、俸禄捨つべし、士籍擲つべし、国に報ゆるの業、
何ぞ必らずしも区々常規の中にアクサク(   )するのみならん
や」。ここにおいて「頭を挙げて宇宙を観れば、大道は到る処に
随う」の句をコウギン(   )し、タンカツ(   )孤剣、武総の
野を経て、水戸に赴き、白川に出で、会津に入り、越後に往き、
佐渡にコウ(  )し、転じて羽州を貫き、さらに寒沢に抵り、遥か
に函館海峡を隔てて松前を望み、転じて仙台より米沢に到り、
再び会津を蹈み、日光を経て江戸に帰れり。ケダ(  )しこの亡
邸の一挙たる、彼が身世ソゴ(   )の第一着にして、彼れ自ら
その猛気を用いたるヘキトウ(   )に加えたり。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【05】
 もしそれ肥後における感化に到りては、さらに深かつ大なるも
のあり。天明の頃、肥後の医師に富田太鳳なるものあり、コウガ
イ(   )にして奇節あり、高山彦九とコウカン(   )しツト(  )
に尊王賤覇の議を唱う。ジライ(   )林藤次なるものあり、博
学トッコウ(   )、我邦の古典に通じ、敬神家のキョウショク(
  )となり、また勤王のボクタク(   )となる。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【06】
 その東北行において、最も大なる印象を加えたるは水戸なる
べし。彼の尊王論は水戸派の尊王論にあらず。その淵原各々
同じからずして、毫も水戸派の議論に負う鮮なきが如しといえど
も、その実未だ必らずしも然りというべからず。然も王覇の弁、カ
イ(   )の説、神州の神州たる所以、二百年来水戸人士のこ
れを講ずる精かつ詳。後水戸学のシュクジュ(   )会沢、豊田
の諸氏に接し、その談論を聞き、キゼン(   )として嘆じて曰く
「身皇国に生れ、皇国の皇国たる所以を知らず、何を以て天地
の間に立たん」と。嘗て彼の「東北日記」の原稿を見るに、その
表紙の裏面に、細字を以て『六国史』云々とランマツ(   )せ
るものあり。これ彼が水戸に来りて、自家の邦典に明かならざる
を愧じ、発憤以てこれを誌せるなり。帰来急に『六国史』を取っ
てこれを読み、イニシエ(  )の聖君英主海外蛮夷をショウフク
(   )したるのユウリャク(   )を観て、慨然として曰く、「吾今
にして皇国の皇国たる所以を知れり」と。もしそれ彼のセイテイ
シュウ(          )のトウビ(   )を蹈破して、天下を狭
しとするの雄心を生じたるが如きは、活ける学問の学問たる所
以と知らずや。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【07】
 何故に彼は外国に渡航せんと欲したるぞ。ゴジン(   )これ
を詳かにせず、然れどもその佐久間象山のショウヨウ(   )に
出でたる事に至っては、復た断じて疑うべからず。象山夙に航
海術の、我が四面カンカイ(   )の邦に必要なるを看破し、そ
の議を幕府に献じ、而して顧られず。松陰に語りて曰く、「男子
宜く海外に遊び、ウダイ(   )の形勢に通じ、以て緩急の用に
資せざるべからず」と。乃ち知る、彼が万里の外土を踏まんとす
る一片の火鎌、象山のヒウチイシ(   )と相鑽つ、焉んぞ雄心
ボツジョ(   )たらざるを得ん。かくてハシ(  )なくペルリは、明
年の再来を期して艦を回らせり。而して七月に至りては、露国の
使節、軍艦シセキ(   )を帥いて長崎に来りてゴシ(   )を
乞う。米艦僅かに去れば露艦来り、天下の人心、漸く乱を思わ
んとす。彼は九月江戸を発し、バクジ(   )九州に入り、ホウヒ
(   )を経、長崎に赴き、露艦に乗じ、海外に航せんとす。即
ちイジツ(   )における象山が買禍の本案たる、「この子に霊
骨有り」の送詩は、この時に為りしなり。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【08】
 惟うに彼が外国に航せんと欲したるは、種々のキボウ(   )
ありしに相違なしといえども、その重なる点は、則ち彼を知り己
れを知るの意にして、以て一種のカンチョウ(   )たらんと欲し
たりしなり。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【09】
 彼は志を達せずして江戸に帰りぬ。然れどもその志は、シカイ
(   )に帰する能わず。あたかも好し、安政元年正月十八日、
前言の期を違えず、ペルリは軍艦四隻、汽船三隻を帥いて、江
戸羽根田にチンニュウ(   )し、また退いて神奈川にトウビョウ
(   )す。識者の予測したる愚者のムシ(   )せざる三百年
来未だ曾てこれなき大刺激は来れり。大挑発は試みられたり。
怯者懼れ、勇者奮い、愚者驚き、智者憂い、人心動乱、停止す
る所を知らず。この時において彼アニ(  )トジ(   )にして已
まんや。トウカイ(   )の雄志はホンバ(   )の鞭影に驚きた
るが如し。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【10】
 彼はこの志をモタラ(  )し、暗にその兄に別れを告げて曰く、
今よりフウジン(   )を鎌倉に避け、ただ読書を事とせんと。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【11】
 今コウイン(   )の歳より壬戌の歳まで天下国家の事をいわ
ず、蘇秦、張儀の術をなさず、退いてはトギョ(   )と為り、進
んでは天下を跋渉し、形勢をジュクラン(   )し、以て他年報
国の基を為さんのみ。フガク(   )崩るといえども、刀水カ(  )
るといえども、誓ってこの言に負かざるなり。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【12】
 かくの如く富岳、刀水は、一方においては鎌倉チッキョ(   )
の保証人たり、他方においては、米艦に搭じて外国に行くの保
証人たり。山水霊あらば、当にそのランショウ(   )を笑うべし
といえども、彼のシンイ(   )は、前者に在らずして固より後者
に在るなり。(略)梯子をヨ( )じて上り、船員の来るを見てこれ
に与う。彼れゴイ(   )半ば通じ半ば解せず、手語してボウパ
タン号に往くを示す、これキカン(   )にしてペルリここにあり。
(略)松陰梯に躍ってその梯に在り、金子を顧みてトモヅナ(  )
を攬らしむ。(略)而して彼らを送りし船は已に去りてコウトウ(
 )の濤に擒にせられ水烟ビョウマン(   )の裡に在り、腰刀、
コウリ(   )またその中に在りて行く処を知らず。(略)彼らはコ
ンセイ(   )せり、哀愬せり、その有る限りの力を竭して相談せ
り、然れども頑として動かざるなり。船員曰く、君らの志は善し、
然れども二国交親せんと欲するの今日において、私に君らを載
せ去る、二国の国交を如何せんと。万里ホウキョ(   )の志ま
たここにおいてサタ(   )たり。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【13】
 運命は実に奇なるものなり、彼がハイコ(   )より起ち、幕府
の徴命に応じ、和親開港、公武合体の政策を献じ、公武の間に
奔走するや、吉田松陰によりて点火せられたる長防の尊攘党は
地を捲いてケイシ(   )に推し寄せ、今は革命の大打撃を始
めんとしつつありき。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【14】
 彼は嘉永六年キチュウ(   )、米国軍艦が、江戸近海に繫
泊するに際しては、固より主戦論者にてありき。彼れ曰く、「理宜
して天下の大義をノ(  )べて、逆夷の罪を征討すべし」と。その
理由を問えば、曰く、「その情固より狡黠にして、その状またすこ
ぶるショウケツ(   )なり」と。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【15】
 吾人は今日においてこの策論を読み、そのボウタン(   )不
稽に驚くといえども、これがために松陰のショウイン(   )たる
価値において、一分一毛を減ずる所無きを見るなり。彼がこの
論を草するは、これ嘉永六年葵丑の八月なり、即ち二十四歳な
るショウソウシャ(    )の議論なり。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【16】
 然りといえども、彼は横井小楠の如く直覚的の活眼を有せず、
佐久間象山の如く推歩打算的ケイリン(   )を有せず、また藤
田東湖の如く時勢のチョウセキ(   )を察して、一世の人心を
ロウラク(   )するダイケンスウ(    )を有せずといえども、
また決して無謀の攘夷家に非ず。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【17】
 彼また曰く、「吾曾て象山師に聞くことあり、云く、出交易は可
なり居交易は不可なり、余曰く、国力キョウセイ(   )にて外夷
をガギョ(   )するに余らば、居交易もまた不可なり、いわんや
出交易をや。外夷のイセイ(   )にイショウ(   )して已むを
得ざるに出でば、出交易もまた不可なり、いわんや居交易をや。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【18】
 安政二年三月彼が月性に与えたる書中に曰く、「天子に請う
て幕府を撃つの事に至っては、殆ど不可なり」と、これ月性に向
ってその倒幕をロンバク(   )したるなり。その理由如何、曰く
「ケイテイ(   )牆にセメ(  )ぐも外その侮を防ぐ、大敵外にあ
り、豈に国内相攻るの時ならんや」。これ明かに彼が一個の国
民的論者たることを自白するものに非ずや。いわゆる彼が攘夷
とは、この国民的統一、国体的保存、国権的拡張を意味するも
の。また曰く、「大禁物は日本内にて相征し相伐すること誠に恐
れ多し」と。また曰く、「幕府へ御忠節は即ちテンチョウ(   )
への御忠節、二つこれ無く候」と、これみな月性に向って、その
キゲキ(   )の論を駁したるなり。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【19】
 概して言えば、当時においては先ずこの三個の意見並立し、
而して彼の嘉永、安政以後二十余年間の歴史は、この三個の
意見の交互ショウチョウ(   )の記録というも不可なきが如し。
もしあるいは因循コソク(   )、ウヘキ(   )固陋、放誕ビュ
ウレイ(   )の意見を以て、あるいは幕府のためにし、あるいは
朝廷のためにし、もしくは風潮を視、夕に変じ朝に換わるが如き
雷同附和シャリュウ(   )に至っては、挙げて数うるに足らず。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【20】
 これら三個の意見のみ単純に存在するときにおいては、当時
の時勢をケンベツ(   )するにおいて迷惑少なしといえども、
この意見に対して、また攘夷、開国、サコウ(   )の意見相加
わり、次に避け難きキエン(   )よりして、佐幕は開港と一致し
尊王は攘夷と一致し、鎖国と一致するに至り、粉々としてランマ
(   )の如し。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【21】
 彼は天成のコスイシャ(    )なり、感激者なり。踏海の策敗
れて下田の獄に繋がるや、獄卒に説くに、自国を尊び、外国を
卑み、コウジョウ(   )を重んじ、イリン(   )を叙ずべきを以
てし、狼の目より涙を流さしめたり。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【22】
 彼はカンチュウ(   )の虎なり、その夢は荒山、莽野の中に
チテイ(   )すといえども、身は自由ならず。乃ち自由ならず
といえども、なおその志を行わんとせり、彼はチッキョ(   )中
なるに係らず、なお長防革命的運動の指揮官たりしなり。彼はし
ばしばケイシ(   )に献言せり、彼は萩藩府に勧告せり、彼は
孝明天皇に向って後醍醐たらんことを希い、藩主に向って義貞
正成たらんことを望めり。彼はヒョウカン(   )の公卿大原重徳
をショウヨウ(   )して、長州にゲコウ(   )せしめんとせり。そ
の意大原を以て藩主を要し、藩論を一定し、以て勤皇軍のシュ
ショウ(   )たらしむるにありし。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【23】
 維新革命史中において、建設的革命家たるヒョウシキ(   )
は、独り島津ナリアキラ(   )においてこれを見る。勝海舟彼
を評して曰く、「テンシ(   )温和、容貌整秀、以て親しむべく
そのイボウ(   )凛乎犯すべからず。度量遠大、執一の見なく
殆んど一世をロウトウ(   )するの概あり」と。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【24】
 然れども十月十六日に至り、キクモン(   )全く畢り、奉行は
彼を流罪に当るものとなし、案を具えてこれを老中に致す。大
老イイナオスケ(      )「流」字を鈎して「死」字と作す。彼
もまたこれを漏れ聞き、遂に十月二十日エイケツ(   )の書を
作り、これをそのフケイ(   )に与えたり。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【25】
 今日死を決するの安心は、四時の循環において得る所あり。
ケダ(  )し彼のカカ(   )を見るに、春種し夏苗し秋刈り冬蔵
す。秋冬に至れば人みなそのサイコウ(   )の成るを悦び、酒
を造りレイ(  )を為り、村野歓声あり。

ら行の8847

10月〇日 
◆吉田松陰(徳富蘇峰)【01】
 題して『吉田松陰』というも、その実は松陰を中心として、その
前後の大勢、暗潜モクイ(黙移)の現象を観察したるに過ぎず。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【02】
 昨年の春初「本郷会堂」において、「吉田松陰」を講談す。の
ちフエン(敷衍)して『国民之友』に掲出する十回。さらに集めて
一冊となさんと欲すセンエン(遷延)果さず。このごろコウコ(江
湖)のトクセキ(督責)急なるを以て、トッサ(咄嗟)の間、遂にこ
れを成す。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【03】
 山陽山陰にコキョ(虎踞)竜蟠し、一百二十万石の大封を擁し
覇威を中国に振いたる毛利氏も、天のレキスウ(暦数)徳川氏
に帰し、今は関原の役、西軍にクミ(与)したるの罪により、長防
三十六万九千石に削減せられ空しく恨を呑んでヘイソク(屏息)
せり。然りといえども乃祖元就、寡兵を提げ、陶賊を厳島にミナ
ゴロシ(鏖)にしたる、当年の覇気豈に悉く消沈し去らんや。天下
一朝動乱の機あれば、先ず徳川幕府に向って楯を突くものは、
長にあらざれば必ずサツ(薩)。これ徳川氏自身が、恒にカイシ
ン(戒心)したる所にあらずや。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【04】
 旅行は、実に彼の活ける学問たりき。彼れ嘉永三年鎮西の山
川をバッショウ(跋渉)し、四年藩主の駕にコ(扈)して江戸に到
り相房形勢の地を按じ、さらに東北に向って遠征を試みんと欲し
肥後の人宮部鼎蔵と、十二月十五日アコウギシ(赤穂義士)復
讐の日を期して途に就かんとす。既にハンキョ(藩許)を得るも
未だ旅券を得ず、彼ゴウ(毫)もチギ(遅疑)せず、曰く、「一諾
山よりも重し、俸禄捨つべし、士籍擲つべし、国に報ゆるの業、
何ぞ必らずしも区々常規の中にアクサク(齷齪)するのみならん
や」。ここにおいて「頭を挙げて宇宙を観れば、大道は到る処に
随う」の句をコウギン(高吟)し、タンカツ(短褐)孤剣、武総の
野を経て、水戸に赴き、白川に出で、会津に入り、越後に往き、
佐渡にコウ(航)し、転じて羽州を貫き、さらに寒沢に抵り、遥か
に函館海峡を隔てて松前を望み、転じて仙台より米沢に到り、
再び会津を蹈み、日光を経て江戸に帰れり。ケダ(蓋)しこの亡
邸の一挙たる、彼が身世ソゴ(齟齬)の第一着にして、彼れ自ら
その猛気を用いたるヘキトウ(劈頭)に加えたり。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【05】
 もしそれ肥後における感化に到りては、さらに深かつ大なるも
のあり。天明の頃、肥後の医師に富田太鳳なるものあり、コウガ
イ(慷慨)にして奇節あり、高山彦九とコウカン(交驩)しツト(夙)
に尊王賤覇の議を唱う。ジライ(爾来)林藤次なるものあり、博
学トッコウ(篤行)、我邦の古典に通じ、敬神家のキョウショク(矜
式)となり、また勤王のボクタク(木鐸)となる。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【06】
 その東北行において、最も大なる印象を加えたるは水戸なる
べし。彼の尊王論は水戸派の尊王論にあらず。その淵原各々
同じからずして、毫も水戸派の議論に負う鮮なきが如しといえど
も、その実未だ必らずしも然りというべからず。然も王覇の弁、カ
イ(華夷)の説、神州の神州たる所以、二百年来水戸人士のこ
れを講ずる精かつ詳。後水戸学のシュクジュ(宿儒)会沢豊田
の諸氏に接し、その談論を聞き、キゼン(喟然)として嘆じて曰く
「身皇国に生れ、皇国の皇国たる所以を知らず、何を以て天地
の間に立たん」と。嘗て彼の「東北日記」の原稿を見るに、その
表紙の裏面に、細字を以て『六国史』云々とランマツ(乱抹)せ
るものあり。これ彼が水戸に来りて、自家の邦典に明かならざる
を愧じ、発憤以てこれを誌せるなり。帰来急に『六国史』を取っ
てこれを読み、イニシエ(古)の聖君英主海外蛮夷をショウフク
(懾服)したるのユウリャク(雄略)を観て、慨然として曰く「吾今
にして皇国の皇国たる所以を知れり」と。もしそれ彼のセイテイ
シュウ(蜻《虫偏+廷》州)のトウビ(頭尾)を蹈破して、天下を狭
しとするの雄心を生じたるが如きは、活ける学問の学問たる所
以と知らずや。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【07】
 何故に彼は外国に渡航せんと欲したるぞ。ゴジン(吾人)これ
を詳かにせず、然れどもその佐久間象山のショウヨウ(慫慂)に
出でたる事に至っては、復た断じて疑うべからず。象山夙に航
海術の、我が四面カンカイ(環海)の邦に必要なるを看破し、そ
の議を幕府に献じ、而して顧られず。松陰に語りて曰く、「男子
宜く海外に遊び、ウダイ(宇内)の形勢に通じ、以て緩急の用に
資せざるべからず」と。乃ち知る、彼が万里の外土を踏まんとす
る一片の火鎌、象山のヒウチイシ(燧石)と相鑽つ、焉んぞ雄心
ボツジョ(勃如)たらざるを得ん。かくてハシ(端)なくペルリは、明
年の再来を期して艦を回らせり。而して七月に至りては、露国の
使節、軍艦シセキ(四隻)を帥いて長崎に来りてゴシ(互市)を
乞う。米艦僅かに去れば露艦来り、天下の人心、漸く乱を思わ
んとす。彼は九月江戸を発し、バクジ(驀地)九州に入り、ホウヒ
(豊肥)を経、長崎に赴き、露艦に乗じ、海外に航せんとす。即
ちイジツ(異日)における象山が買禍の本案たる、「この子に霊
骨有り」の送詩は、この時に為りしなり。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【08】
 惟うに彼が外国に航せんと欲したるは、種々のキボウ(企謀)
ありしに相違なしといえども、その重なる点は、則ち彼を知り己
れを知るの意にして、以て一種のカンチョウ(間諜)たらんと欲し
たりしなり。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【09】
 彼は志を達せずして江戸に帰りぬ。然れどもその志は、シカイ
(死灰)に帰する能わず。あたかも好し、安政元年正月十八日、
前言の期を違えず、ペルリは軍艦四隻、汽船三隻を帥いて、江
戸羽根田にチンニュウ(闖入)し、また退いて神奈川にトウビョウ
(投錨)す。識者の予測したる愚者のムシ(夢視)せざる三百年
来未だ曾てこれなき大刺激は来れり。大挑発は試みられたり。
怯者懼れ、勇者奮い、愚者驚き、智者憂い、人心動乱、停止す
る所を知らず。この時において彼アニ(豈)トジ(徒爾)にして已
まんや。トウカイ(蹈海)の雄志はホンバ(奔馬)の鞭影に驚きた
るが如し。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【10】
 彼はこの志をモタラ(齎)し、暗にその兄に別れを告げて曰く、
今よりフウジン(風塵)を鎌倉に避け、ただ読書を事とせんと。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【11】
 今コウイン(甲寅)の歳より壬戌の歳まで天下国家の事をいわ
ず、蘇秦、張儀の術をなさず、退いてはトギョ(蠧魚)と為り、進
んでは天下を跋渉し、形勢をジュクラン(熟覧)し、以て他年報
国の基を為さんのみ。フガク(富岳)崩るといえども、刀水カ(涸)
るといえども、誓ってこの言に負かざるなり。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【12】
 かくの如く富岳、刀水は、一方においては鎌倉チッキョ(蟄居)
の保証人たり、他方においては、米艦に搭じて外国に行くの保
証人たり。山水霊あらば、当にそのランショウ(濫証)を笑うべし
といえども、彼のシンイ(真意)は、前者に在らずして固より後者
に在るなり。(略)梯子をヨ(攀)じて上り、船員の来るを見てこれ
に与う。彼れゴイ(語意)半ば通じ半ば解せず、手語してボウパ
タン号に往くを示す、これキカン(旗艦)にしてペルリここにあり。
(略)松陰梯に躍ってその梯に在り、金子を顧みてトモヅナ(纜)
を攬らしむ。(略)而して彼らを送りし船は已に去りてコウトウ(浩
蕩)の濤に擒にせられ水烟ビョウマン(渺漫)の裡に在り、腰刀、
コウリ(行李)またその中に在りて行く処を知らず。(略)彼らはコ
ンセイ(懇請)せり、哀愬せり、その有る限りの力を竭して相談せ
り、然れども頑として動かざるなり。船員曰く、君らの志は善し、
然れども二国交親せんと欲するの今日において、私に君らを載
せ去る、二国の国交を如何せんと。万里ホウキョ(鵬挙)の志ま
たここにおいてサタ(蹉《足偏+它》)たり。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【13】
 運命は実に奇なるものなり、彼がハイコ(廃錮)より起ち、幕府
の徴命に応じ、和親開港、公武合体の政策を献じ、公武の間に
奔走するや、吉田松陰によりて点火せられたる長防の尊攘党は
地を捲いてケイシ(京師)に推し寄せ、今は革命の大打撃を始
めんとしつつありき。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【14】
 彼は嘉永六年キチュウ(葵丑)、米国軍艦が、江戸近海に繫
泊するに際しては、固より主戦論者にてありき。彼れ曰く、「理宜
して天下の大義をノ(伸)べて、逆夷の罪を征討すべし」と。その
理由を問えば、曰く、「その情固より狡黠にして、その状またすこ
ぶるショウケツ(猖獗)なり」と。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【15】
 吾人は今日においてこの策論を読み、そのボウタン(妄誕)不
稽に驚くといえども、これがために松陰のショウイン(松陰)たる
価値において、一分一毛を減ずる所無きを見るなり。彼がこの
論を草するは、これ嘉永六年葵丑の八月なり、即ち二十四歳な
るショウソウシャ(少壮者)の議論なり。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【16】
 然りといえども、彼は横井小楠の如く直覚的の活眼を有せず、
佐久間象山の如く推歩打算的ケイリン(経綸)を有せず、また藤
田東湖の如く時勢のチョウセキ(潮汐)を察して、一世の人心を
ロウラク(籠絡)するダイケンスウ(大権数)を有せずといえども、
また決して無謀の攘夷家に非ず。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【17】
彼また曰く、「吾曾て象山師に聞くことあり、云く、出交易は可
なり居交易は不可なり、余曰く、国力キョウセイ(強盛)にて外夷
をガギョ(駕馭)するに余らば、居交易もまた不可なり、いわんや
出交易をや。外夷のイセイ(威勢)にイショウ(畏懾)して已むを
得ざるに出でば、出交易もまた不可なり、いわんや居交易をや。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【18】
 安政二年三月彼が月性に与えたる書中に曰く、「天子に請う
て幕府を撃つの事に至っては、殆ど不可なり」と、これ月性に向
ってその倒幕をロンバク(論駁)したるなり。その理由如何、曰く
「ケイテイ(兄弟)牆にセメ(鬩)ぐも外その侮を防ぐ、大敵外にあ
り、豈に国内相攻るの時ならんや」。これ明かに彼が一個の国
民的論者たることを自白するものに非ずや。いわゆる彼が攘夷
とは、この国民的統一、国体的保存、国権的拡張を意味するも
の。また曰く、「大禁物は日本内にて相征し相伐すること誠に恐
れ多し」と。また曰く、「幕府へ御忠節は即ちテンチョウ(天朝)
への御忠節、二つこれ無く候」と、これみな月性に向って、その
キゲキ(詭激)の論を駁したるなり。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【19】
 概して言えば、当時においては先ずこの三個の意見並立し、
而して彼の嘉永、安政以後二十余年間の歴史は、この三個の
意見の交互ショウチョウ(消長)の記録というも不可なきが如し。
もしあるいは因循コソク(姑息)、ウヘキ(迂僻)固陋、放誕ビュ
ウレイ(謬戻)の意見を以て、あるいは幕府のためにし、あるいは
朝廷のためにし、もしくは風潮を視、夕に変じ朝に換わるが如き
雷同附和シャリュウ(者流)に至っては、挙げて数うるに足らず。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【20】
 これら三個の意見のみ単純に存在するときにおいては、当時
の時勢をケンベツ(甄別)するにおいて迷惑少なしといえども、
この意見に対して、また攘夷、開国、サコウ(鎖港)の意見相加
わり、次に避け難きキエン(奇縁)よりして、佐幕は開港と一致し
尊王は攘夷と一致し、鎖国と一致するに至り、粉々としてランマ
(乱麻)の如し。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【21】
 彼は天成のコスイシャ(鼓吹者)なり、感激者なり。踏海の策敗
れて下田の獄に繋がるや、獄卒に説くに、自国を尊び、外国を
卑み、コウジョウ(綱常)を重んじ、イリン(彝倫)を叙ずべきを以
てし、狼の目より涙を流さしめたり。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【22】
 彼はカンチュウ(檻中)の虎なり、その夢は荒山、莽野の中に
チテイ(馳騁)すといえども、身は自由ならず。乃ち自由ならず
といえども、なおその志を行わんとせり、彼はチッキョ(蟄居)中
なるに係らず、なお長防革命的運動の指揮官たりしなり。彼はし
ばしばケイシ(京師)に献言せり、彼は萩藩府に勧告せり、彼は
孝明天皇に向って後醍醐たらんことを希い、藩主に向って義貞
正成たらんことを望めり。彼はヒョウカン(慓悍)の公卿大原重徳
をショウヨウ(慫慂)して、長州にゲコウ(下向)せしめんとせり。そ
の意大原を以て藩主を要し、藩論を一定し、以て勤皇軍のシュ
ショウ(首唱)たらしむるにありし。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【23】
 維新革命史中において、建設的革命家たるヒョウシキ(標式)
は、独り島津ナリアキラ(斉彬)においてこれを見る。勝海舟彼
を評して曰く、「テンシ(天資)温和、容貌整秀、以て親しむべく
そのイボウ(威望)凛乎犯すべからず。度量遠大、執一の見なく
殆んど一世をロウトウ(籠罩)するの概あり」と。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【24】
 然れども十月十六日に至り、キクモン(鞠問)全く畢り、奉行は
彼を流罪に当るものとなし、案を具えてこれを老中に致す。大
老イイナオスケ(井伊直弼)「流」字を鈎して「死」字と作す。彼
もまたこれを漏れ聞き、遂に十月二十日エイケツ(永訣)の書を
作り、これをそのフケイ(父兄)に与えたり。

◆吉田松陰(徳富蘇峰)【25】
 今日死を決するの安心は、四時の循環において得る所あり。
ケダ(蓋)し彼のカカ(禾稼)を見るに、春種し夏苗し秋刈り冬蔵
す。秋冬に至れば人みなそのサイコウ(歳功)の成るを悦び、酒
を造りレイ(醴)を為り、村野歓声あり。

ら行の8846

10月〇日 
①横笛(      )(五) 
②離逖(    ) 逖(   )い(六) 
③抓入(    )(五) 
④滴水(     ) 滴(  )れる(六) 
⑤滴血=ショクハク(   )(七)

170730_000125.jpg

①横笛(ようじょう)(五) ※「じゃく」の音アリ
②離逖(りてき) 逖(とお)い(六) ※「はる(か)」追加
③抓入(つみれ)(五) ※=「摘入」
④滴水(てきすい) 滴(た)れる(六) ※「~成氷」
⑤滴血=ショクハク(蜀魄)(七)

ら行の8845

10月〇日 
 足の爪は伸びんのがはやいのではない。日頃チェックしとらん
から。第3回は来るのがはやいのではない。勉強しとらんから。
 ああっというまに年は明けるぞよ。

170516_134149.jpg

ら行の8844

10月〇日 
 曲直瀬道三です。P1100まで来ましたぞよウヒ。

①教導=ケイテキ(   )(七)
②啓迪(     ) 迪(    )く(七) 
③迪化街を迪み迪(   )む青田赤道(一/訓) 
④剔髪(     ) 剔(  )る(六)
⑤剔抉(     ) 剔(   )る(六) ※「把羅~」

170730_000125.jpg

①教導=ケイテキ(啓迪)(七)
②啓迪(けいてき) 迪(みちび)く(七) ※「みち」もアリ
③迪化街を迪み迪(すす)む青田赤道(一/訓) ※「ふ(む)」
④剔髪(ていはつ) 剔(そ)る(六)
⑤剔抉(てきけつ) 剔(えぐ)る(六) ※「把羅~」

ら行の8843

10月〇日 
①中国北方異民族=テキジン(   )(三) 
②その兎はテキテキゼン(    )と身をかわした(二)
③的然(     ) 的(   )らか(六) 
④香具師(   )(五)
⑤海魴(     )(五) 

170730_000125.jpg

①中国北方異民族=テキジン(狄人)(三) ※「狄(えびす)」
②その兎はテキテキゼン(狄狄然)と身をかわした(二)
③的然(てきぜん) 的(あき)らか(六) ※「~にする」
④香具師(やし)(五)
⑤海魴(まとうだい)(五) ※出ない(「的鯛」「馬頭鯛」とも書く)

ら行の8842

10月〇日 
◆トケン(   )啼いて百花の枝に在り
◆満架のショウビ(   )一院香し

161013_140849.jpg

◆トケン(杜鵑)啼いて百花の枝に在り
◆満架のショウビ(薔薇)一院香し

 (一)20あたりでも注。

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